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Your search : [ author:写真 高梅及] Total 3400 Search Results,Processed in 0.141 second(s)
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1. 考古一大発見 6300年前 死者は石棺の中で眠っていた?!
中国考古学の話題は尽きません。新石器時代に、早くも人びとは「石棺」をつかって死者を埋葬していた!?一九八五年のはじめ、黄海にほど近い江蘇省灌雲県大伊山地区で、約六千三百年前の新石器時代の遺跡が発見されました。二年間の発掘·調査をつうじて明らかになったのが六十四座からなる墓葬群。七つの墓葬からは、埋葬当時のままの骸骨が出土し、玉器、石器、陶器などが百五十四点掘り出されたのです。あいつぐ新発見に“慣れ
Author: 写真 高梅及 Year 1987 Issue 7 PDF HTML
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2. みんなに励まされて難聴克服 2回飛び級して6年生に
写真上の女の子は、見たところごくごく普通の子。歴史人物の絵を描くのが大好きで、クラスメートのみんなから親しまれ、担任の先生にも、父母にも可愛がられている天真らんまんな小学生。名前は周婷々ちゃん、十一歳。南京市の方家巷小学校に通う六年生だ。明るく笑う笑顔からは、婷々ちゃんが背負った苦しみと、それを乗り越えてきた意志の強さは、少しも感じられない。婷々ちゃんは生まれつき耳が不自由で、言語障害をもつ女の子
Author: 写真 高梅及 Year 1991 Issue 12 PDF HTML
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3. 大虐殺から60年 南京で追悼式
一九九七年十二月十三日午前十時、南京市上空に空襲警報が鳴り響き、汽車や汽船もいっせいにサイレンを鳴らした。これを合図に江東門にある「侵華日軍南京大虐殺記念館」で、南京大虐殺六十周年追悼記念式典が厳かに始まった。記念館前に新しくできた哀悼広場には「奠」の字を記した直径二メートルの花輪が飾られ、奇跡的に生き残った李秀英さんと夏淑琴さんが「古城の惨禍」と題する彫刻の前の灯明に明かりを点し、花束を捧げた(
Author: 写真·高梅及 文·若虹 Year 1998 Issue 4 PDF HTML
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4. 瀋陽·蘇家屯の機関区に勢ぞろいしたSL群。“幻のパシナ”も化粧なおしされておめみえ
SL(蒸気機関車)ファンには願ってもない展覧会が、遼寧省は瀋陽·蘇家屯の機関区で開かれている。オールド·ファンなら、まず説明は不要、ひと目で分かる「パシナ」(パシフィック7)型蒸気機関車が、この展覧会の目玉。“幻の機関車”が、いま四十年ぶりに外国人旅行客にも“開放”されたのである。「パシナ」の“昔の名前”は「あじあ号」。日本の植民地経営の“尖兵”として「南満州鉄道」に投入された、当時、世界でも最新
Author: 写真 項毅 Year 1985 Issue 1 PDF HTML
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5. こっちの「烤鴨」もいけますよ。懐柔県に飛んだペキンダック。
豊かになった北京郊外の農民は、一度は扒鴨(カオヤ)をと、何十キロもバスにゆられて市内の有名店をめざす。ところが北京名物の扒鴨のこと、店は大入満員で、二、三時間行列して待っても、必ず食べられるとは限らない。それではと、去年の十月六日、市内から北へ四九キロの懐柔県に「懐興飯荘」という扒鴨専門店がオープンした。オーナーは県の服務公司。建物は地元の渡河大隊の農民建築隊が二カ月半で完成、フロアには二百人が座
Author: 写真 狄華 Year 1985 Issue 3 PDF HTML
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6. 六十周年を迎えた故宮博物院。“化粧直し”されて一層壮麗に
英訳では「禁断の都市」。そそり立つぶ厚い壁に囲まれた七十二万平方メートルの空間、間数九千の建築群。明·清王朝二十四人の皇帝の居城だった紫禁城が「故宮博物院」として一般に公開されたのは一九二五年十月十日のことだった。昨年の十月十日は、ちょうど「建院六十周年」にあたったため、建物の“化粧直し”がおこなわれるとともに、盛大な記念式典が開かれた。中国の歴史に関心のある方なら、「故宮博物院」が、台北にも設け
Author: 写真 王輝 Year 1986 Issue 1 PDF HTML
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7. かいがいしく看取る溥傑氏、亡き周総理の励ましを胸に。
溥傑氏、今年七十九歳。清朝最後の皇帝で、のち「満州国」皇帝になった溥儀の実弟である。日本人嵯峨浩さんと結婚したのは一九三七年四月のこと。「満州国」経営のために、「関東軍」がしくんだ政略結婚だった。傀儡政権は日本軍の敗北とともに崩れ、溥傑氏は戦犯としてシベリアの流刑地へ、嵯峨浩さんは母国日本へ。一九五〇年、撫順の戦犯管理所に移された溥傑氏が特赦によって釈放されたのは、六〇年十二月のことだった。翌年、
Author: 写真 羽佳 Year 1986 Issue 8 PDF HTML
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8. 中日間を結ぶ定期客船「鑑真」号
「鑑真」号は、1985年7月6日に就航してから、週に一往復、神戸―上海、上海―大阪間を通っている。写真は、上海·黄浦江をさかのぼる「鑑真」号船上から。
Author: 写真 王?晋 Year 1986 Issue 8 PDF HTML
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9. つごう二百余名が一堂に。栄家一族、めでたく“大団円”。
エコノミストならずとも、中国経済に関心ある方なら、ご存知でしょう。栄毅仁(ロンイーレンー)氏。一九五〇年代に、「紅色老板」(赤い資本家)の異名(えいきじん)までとった、中国経済界の“立て役者”です。栄家一族は、今世紀のはじめ、父親の代に、四つの石臼から製粉業を興し、三〇年代には、故郷の無錫をはじめ、上海、済南などに、製粉、紡績、機械などの工場をもつ、中国有数の民族資本をうちたてました。一九四九年、
Author: 写真 李平 Year 1986 Issue 10 PDF HTML
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10. サブちゃんの心配は無用。本場の演歌に湧いた満場の拍手。
昨年の十月四日。北京秋天。天安門広場。保母さんに連れられた幼稚園児にまじって、お一人、サングラスの“中年男”が北京の秋を“たんのう”している図。様(さま)にならない、って?いいえ、様になっております。この日、五十歳の誕生日をむかえた北島三郎さん、しばし童年にかえって、すぎこしかたを想いやっていらっしゃる。「そう、もう五十の坂ですものね。歌手生活二十五年。振りかえれば、短くもあり長くもあり……ですか
Author: 写真 馮進 Year 1987 Issue 1 PDF HTML